2012年11月11日
遠いデザイン 3-3
前回(3-2の続き)
モデルの女は着替え室に充てられた一室でウエディングドレスを脱いだ。背中に腕を回しジッパーを引いた時、さっき自分が口にした片割れの姉のことが頭をよぎった。今まで意識に昇ることのなかったその存在が、モデルの仕事をはじめるようになってから不思議と気になりだしていた。
この春、二十歳の誕生日を迎えるモデルには、今ではそんな姉が本当にいたのかどうかさえはっきりとしない。全ては自分がつくりだした妄想じゃないかとも思う。
ただ、彼女の中に残るぼんやりとした場面があった。そこには幼い自分がいて、バスタブの水の中に手を入れて何かを押えつけている父の姿があった。
さっきまでいた姉の姿はなく、丸みを帯びた白いバスタブの内側からゴボゴボという水音が立ち上がっていた。遠い記憶は若かった父親に姉をバスタブの底に沈めた殺人者としての像を結ぼうとしているのだろうか?
女はウエディングドレスをハンガーに掛けて、嵌め殺しのガラス窓の前へと立った。窓外にある大きな風景は死んだように動かない。ただ足元に広がる海が彼方の空へと続いているばかりだ。女はふとガラスの中に小さな黒い点々があることに気づき、それを指で擦ってみた。それが汚れではなくて、海上を旋回する鳥たちの遠影であると気づくのに視線を遠くへ投げる必要があった。空と海の青さの中で、時々それらがかき消えそうに見えるのは、鳥たちに当る光の加減のせいだと気づいた。
女がガラスに描く指のラインは鳥たちの飛翔の範囲をやすやすと超える。
べん毛も見えないほどの小さな点にすぎないが、と女は考える。その黒い点の動きはまるで精子のようだ。でも、いくら探し続けても、目指すべき場所に辿り着くことはないだろう。
波の音も、光の温もりも、ここからはわからないが、ただ、海上を流れる冷気のようなものがあって、その中で鳥たちの羽ばたきだけが熱を帯びてくる。今、群を離れた一羽の大きな鳥の影が、黒い実感として女の目前を飛び去っていった。
扉がノックされている。たぶんマネージャーが呼びにきたのだろうと思い、女はドアの方を振り返り、旧式の鏡台が置かれた縦長の空間を進む。開け放しのクローゼットの中には、ハンガーに掛けられたウエディングドレスがまだ微かな揺れを保っていた。
(続く)
遠いデザインとは……中年男が若い女性に憧れる、よくあるテーマの小説。
この歳になると。そんなことしか書けませんので…。
地域の産業支援を本格的にやりだしてから、
コピーを以前みたいに書かねくなったので、その手慰みのために。
モデルの女は着替え室に充てられた一室でウエディングドレスを脱いだ。背中に腕を回しジッパーを引いた時、さっき自分が口にした片割れの姉のことが頭をよぎった。今まで意識に昇ることのなかったその存在が、モデルの仕事をはじめるようになってから不思議と気になりだしていた。
この春、二十歳の誕生日を迎えるモデルには、今ではそんな姉が本当にいたのかどうかさえはっきりとしない。全ては自分がつくりだした妄想じゃないかとも思う。
ただ、彼女の中に残るぼんやりとした場面があった。そこには幼い自分がいて、バスタブの水の中に手を入れて何かを押えつけている父の姿があった。
さっきまでいた姉の姿はなく、丸みを帯びた白いバスタブの内側からゴボゴボという水音が立ち上がっていた。遠い記憶は若かった父親に姉をバスタブの底に沈めた殺人者としての像を結ぼうとしているのだろうか?
女はウエディングドレスをハンガーに掛けて、嵌め殺しのガラス窓の前へと立った。窓外にある大きな風景は死んだように動かない。ただ足元に広がる海が彼方の空へと続いているばかりだ。女はふとガラスの中に小さな黒い点々があることに気づき、それを指で擦ってみた。それが汚れではなくて、海上を旋回する鳥たちの遠影であると気づくのに視線を遠くへ投げる必要があった。空と海の青さの中で、時々それらがかき消えそうに見えるのは、鳥たちに当る光の加減のせいだと気づいた。
女がガラスに描く指のラインは鳥たちの飛翔の範囲をやすやすと超える。
べん毛も見えないほどの小さな点にすぎないが、と女は考える。その黒い点の動きはまるで精子のようだ。でも、いくら探し続けても、目指すべき場所に辿り着くことはないだろう。
波の音も、光の温もりも、ここからはわからないが、ただ、海上を流れる冷気のようなものがあって、その中で鳥たちの羽ばたきだけが熱を帯びてくる。今、群を離れた一羽の大きな鳥の影が、黒い実感として女の目前を飛び去っていった。
扉がノックされている。たぶんマネージャーが呼びにきたのだろうと思い、女はドアの方を振り返り、旧式の鏡台が置かれた縦長の空間を進む。開け放しのクローゼットの中には、ハンガーに掛けられたウエディングドレスがまだ微かな揺れを保っていた。
(続く)
遠いデザインとは……中年男が若い女性に憧れる、よくあるテーマの小説。
この歳になると。そんなことしか書けませんので…。
地域の産業支援を本格的にやりだしてから、
コピーを以前みたいに書かねくなったので、その手慰みのために。
Posted by Fuji-Con at 16:59